2. 子供を見る
子供のことは大好きだし、しっかりわかってあげているつもりでした。
けれど、どうして?なぜ??
ということも多々ありました。
モンテッソーリ教育を実践してからわかったことが、
必要以上に言葉がけをしてしまっている
子供を見ているようで見ていない
また前の記事のように、ただ外遊びに行けば子供は喜ぶと思っていたり・・・
一般的に父親は特につながりが少ないので、
ついついジェットコースターのように刺激をいっぱい与えようとしてしまい、子どものしぐさ、行動をみていないことが多いようです。
子供「のどかわいたなぁ」
私「これ飲みな」とささっと渡してしまったり・・・
子供が自分で、「のどがかわいたなぁ・・・」
そのあとの言葉まで待ってあげてなかったと思います。
結果だけをみて、子供が、言葉を出そう、文章にして伝えよう、動こう
としていることを阻害してしまっていたのです。
押し付けは、自主性も、想像力も、自由も奪うのです。
今では「のどがかわいたなぁ・・・・・・お父さん、お水くださ-い。」まで待つようにしています。
園の指導も、
荷物も子供が自分で用意し、持っていく。
例え、忘れているものがあっても口を出さず見守る
(これは、ついつい言ってしまいそうになります)
もし、忘れたら自分が困ることを知るのです。
もちろん、親は何もしないわけではなく、忘れないようにするための環境をできる限り整えます。
先生も、忘れたことを責めることはせず、必要なものが無い場合どうすればいいのか、今度は自分で忘れないようにしようというように気持ちを持っていってくれます。
こうして
生きるのに大切な
困難や問題を解決する力 を養っていきます
これぞモンテッソーリ教育!
このような教育は、先生と家族の深い理解、協力がないとなかなかできないように思います。
みる、見守るということがいかに難しいか、
できているつもりで、できていないかを痛感しました。
子供は、自分で決めて、自分で成長したいのですね。
自分でやろうとしていることを見る、見守る、口を出さない、手を出さない。
生命に関わること以外、友達との喧嘩であっても、少々危ないことも・・・
(これにも見守ってあげられる環境や周りの理解も必要ですが・・・)
見る、見守る、口を出さない、手を出さない
これは、施術者、指導者としてもとても大事なことだと思います。
ロルフィングでは、身体教育として感覚を大切にするので
こういったこともしっかり学びます。
セッション中の言葉がけから、モノのやりとり、お茶を出す出さないということまで・・・
ちょっとしたことが、感覚・身体に影響を与えるということです。
施術も受け手の方の力を信じ、手を加えすぎない。
教育において、とても大切なことなんですね。
見守って・・・
コメント
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見守る
って、めちゃくちゃ大切ですよね~。
私は子供が居ないので主人に
ついつい先回りして、あーだ、こーだと手や口を出したくなりますが、ぐっとこらえて待つよう努めてます(笑)
クライアントさんとのセッションでは、特に大切ですよね~
加藤先生には、いつもその姿勢で見守って頂いていたことを思い出しました(^v^)
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>心の成長を楽しむ~ゆみの幸せのレシピ~さん
そうですよね。
「見守る」
簡単なようでとっても難しいですね。
この園を退園して、もう1年以上経っているので気をつけているつもりでも、ついついあれこれ言ってしまうことがあります。
そして「お父さん、言い過ぎ!」と子供たちに注意されます(笑)
日々、反省です^^;
信頼すること
長い目で見ること
そうすることで、自らの気づきや考えが生まれるのかもしれません。
家庭でも、仕事でもそんな風にできればなと思います。