自由
じつはとても難しい言葉ですね。
以前シュタイナー教育でも出てきた「自由」。
ですが
同じ自由の中にもやはり違いがあるように思います。
モンテッソーリの「自由」は、簡単にいえば
秩序のある、制限のある自由だと私は思います。
このように私が納得するまですごく時間がかかりました。
以前、私はモンテッソーリ教育に疑問を持っていました。
一部ではお受験に利用されていたりしますし、教具を用いるのも・・・与える情報が多いのではないかということ
そして、家でも決まりごとやルールがいろいろあり、それが自由と矛盾しているのではないかなと思っていました。
それこそ、「与えること、ルール=感覚を阻害すること」なのでは?と思っていました。
先生にも入園前にお手紙を書きました。
もちろん「宜しくお願いします」という内容ですが、
「何歳までに、○○ができていてほしいという思いはありません。子供のペースでお願いします。」
それに対し先生は
「子供は誰もが 【自分でしたい】 と思っています」 というような答えだったと思います。
どういうことでしょうか?
お洗濯も自分でしたい
子どもが登園時にお母さんと離れたくないと泣いている時、先生や親はどのような対応をしていますか?
親や先生に聞いた話ですが、それぞれの園によって違いました。
(もちろん園の方針、先生の考え、状況にもよりますが・・・ それぞれに良い対応だと思います。)
一般的な園では、
先生が抱っこしたり、園の中で○○しようと誘ったりしてということが多いのではないでしょうか。
周りとの協調を大切にする方法を取られる場合が多いように思います。
シュタイナーの園では、自由。
子供がこうしたいといったら聞いてあげてくださいという対応。
たとえば、子どもがお母さんと一緒にいたいと言った場合は、親も一緒に園で過ごすとのこと。
(あくまで聞いた話で、状況などによると思いますが・・・)
モンテッソーリの園では、秩序のある自由。
決まりは決まり、決まりの中で自由にする。
子供がこうしたいといっても、決まりの中で聞いてあげるという対応です。
「正常化」するまで待ち、ルールの中で自分で「どうするか」を決めます。
(これは理解することも、実践することも難しいことです。泣いている小さい子供に対してすぐに抱き上げてあげないなんてヒドイ対応ではないかという記事も見たことがあります)
また長く自然教育をされている先生のお話では
シュタイナー教育の子供たちは、良い意味で大人の顔色を見ない
モンテッソーリ教育の子供たちは、周りの状況をよく見るというような話をされていました。
これはとても深い観察です。
(子供も、先生も、環境も、状況も違うのでこれが全てではありませんが、わかりやすい特徴かなと思いました。)
私は、顔色を見なくていいような環境を作ってあげることが子供にとっていいなと思います。
でも、難しさも感じます。
昔の日本のような自然があり
物がなく、刺激がなく
家族、親、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃんが見守れる環境の中の自由と、
今の情報や刺激であふれた中での自由では大きく異なります。
今の世の中での自由は、かえって子供の自由を阻害するのです。
刺激的なテレビ、キャラクターで、想像力を無くしてしまったり、ボタン一つで何でもできるものに興味がいき、知識欲もなくしてしまったり
つまり 「制限」 があって、 「秩序」 のある環境が用意されて
はじめて 「自由」 がうまれるということではないかと思います。
その自由は、選択する権利があること。
「自由」
とても難しいものです。
世界では自由を求め、戦ったり、争ったり…
それにより自由は手に入るのでしょうか?
私の思う「自由」は秩序があり
とても 静かなもの だと思います。
その環境を提供するのがモンテッソーリ教育ということなのですね。
ロルフィングで見つける
自由なカラダも
きっと静かなものだと思います。
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